先住民族迫害史

  先住民族迫害史   1600年代当初、ニューヨークはすでに10数ヶ国の人種が集まり、人種のるつぼと化していた。オランダが東インド会社を設立、各国の人々を雇った。イギリス人が米国に足を踏み入れる前の話である。 当時、先住民族は東海岸一帯に住み着き、ニューヨークの反対側、今のニュージャージー側に生息していた。イギリス人たちの前はオランダ人 VS 先住民族の戦いがあったのだ。当時の記録で、オランダ人の商人達は仕事の合間にニュージャージー側に住むやさしいインディアン達を狩り、おもしろ半分に殺し、首をフェンスの上に飾っておくのがステータスであった。ある日、貴婦人が家から出ると風が吹き、切断された首が足元に転がってくるのを見て「まあ汚らわしい!」と足蹴にしたというシーンがニューヨーク歴史資料館に残されている。 1600~1700年にかけて、米国を植民地化するために先住民族はもっとも邪魔な存在だったのである。男性の先住民族は生きたまま頭の皮を剥がされた。我々が昔聞いたのと正反対の話しである。 植民地の法令に「先住民族の頭の皮を持ってきたものには報酬を出す」という信じられないものがあったが、我々も良く知っている英雄ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、トーマス・ジェファーソン等も、引き続き承認のサインを行なっている。とにかく自分達の植民地を広げる為に、インディアンは邪魔な存在、どんどん殺して行け行けムードだったらしい。   アンドリュー・ジャクソン(1820年)においてはさらにハードコア。当時のシャイアン族は5つの族に分かれ、代表議会制度の政府があったし、教育やファッションも発達していた。そういった発達している先住民族は目の上のタンコブだったのだ……ジャクソン大統領はバージニアにいたシャイアン族をオクラホマまで徒歩で「死の行進」を行なわせる。それでも死なないシャイアン人に対し、ジャクソンは天然痘菌のついたシーツや毛布をプレゼントする。いわゆるジェノサイド“民族大虐殺”というヒットラーの殺した600万人のユダヤ人、イスラム教徒対ギリシャ政教のボスニア大虐殺等と変らない民族大虐殺が起きたのだ。 当時弓矢に対して連発銃、やぶさめに対して単発銃、残念ながら先住民族に最初から勝ち目はなかった。先住民族の一部族チャロキーは居住地ミシシッピーからオクラホマに冬季の移住を強制され、1万2千人の4分の1が途中で倒れたという。 追いやられた30万人の先住民族は追われ追われて、西の方へと逃げる。ユタのあたりまで来て、こんな不毛の地ならもう大丈夫だろうと安心し、定住の地を築こうとするが、今度はゴールドラッシュがはじまった。   時に1848年、まだオレゴン州全部合わせても人口1万人しかいなかった時代、カリフォルニア州コロナの町で、材木屋の裏の小川で光るものが見つかった。 「金だ!」 あっと言う間にニュースは世界中に広がった。当時東海岸から西海岸に来るルートは3つ。1つは南米大陸回りの船。パナマ運河はなかったので6ヶ月かかる。2番目は船で中南米のニカラグアまで行き、そこから反対まで馬車をチャーター、そして船でカリフォルニアまで北上、これが最短で3ヶ月。3番目は大陸横断で6ヶ月から8ヶ月、オレゴン・トレイルや、サンタフェ・トレイル伝いにやってくるのだ。 1番と2番はお金がかかる。庶民に一番手頃なのは大陸横断だった。しかし、野蛮な当時、山賊や馬賊に襲われる確立が高く、かなり危険な賭けだったそうである。カリフォルニアには1848年から1849年にかけてアメリカ全土から人々が集まってくる。1949年には人口が1万人から一気に10倍の10万人に膨れ上がる。東の産業家(ならず者)達がこぞって鉄道を作り、南北戦争後、すぐに大陸横断鉄道が完成。インディアン達がやっとの事で生活を立て直していた不毛の大地に、白人達がまた土足で入り込んできた。 産業家達が料理人として連れてきたコックやハンターが先住民族が大事にしている野生の動物をメッタ切りにした。温厚な先住民族もついに切れ、1860~1880年にかけて大きな戦争が起きた。ミネソタ周辺ではスー族の戦い、コロラド周辺ではシャイアン族の戦い、アリゾナではアパッチ族の戦いが起きた。アパッチの戦いは映画「ジェロニモ」にて描かれているが、必死の抗争に出るのである。
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