先住民族との戦いの歴史
南北戦争が終わると、再び人々の関心は西部へ向けられた。我々は、先住民族とは白人の西部開拓を邪魔する野蛮な未開人というイメージを植え付けられていたが、1970年に放映されたソルジャーブルー以来、その先入観が変わって行く事になる。この映画の内容は、南北戦争最中の1864年、コロラド準州の民兵達が休戦の約束を破って先住民を攻撃し、子供の首を刎ね、女性を暴行して殺すなど、残虐のかぎりを尽くして引き上げた実際の事件を再現した映画であった。

南北戦争の最中でもそうであったのだから、戦争が終わって、開拓農民が西へ向かうフロンティアの他に、カリフォルニアから逆に東に広がる鉱山労働者や山師達のフロンティア、それにテキサス南部から牛の大群を北へ運ぶカウボーイ達のフロンティア、つまり、農場、鉱山、牧場という三種類の進出者がたちまちのうちに先住民族を追いつめる結果になっていったのである。

その上、1869年には初めての大陸横断鉄道が開通する。それまでは、高原に住んでいた先住民族は、バッファローと共存共栄していた。彼らは必要に応じてのみ、狩猟し、その肉は乾燥させて保存食とし、毛皮は衣服やテントなどとして活用していた。骨までがナイフなどの生活用品として利用されていた。

ところが、西部へ乗り込んできた開拓者達は、まるでスポーツの如く、バッファローを撃ち殺していった。東部地区の皮革業者までがやってきて、皮を大量に鉄道で東部へ輸出しはじめる。これにより、先住民族は生活資源をも奪われてしまった。結果として、食料源を失い、開拓者達の村を襲うようになったのである。

さらにまた、政府が先住民の土地として約束した場所から金鉱が発見されると、一獲千金を狙う者も後を絶たず、政府の約束などどこ吹く風であった。そういった開拓者がどんどん入り込み、金鉱探しに熱中しているところ、中にはそのような無法行為をやめさせようとする政府関係者もいたのだが、欲の皮の突っ張った開拓者を止める事はできなかったようだ。

そして、1871年には、先住民族にとっては決定的な法律がつくられた。それまで先住民族との間に結ばれていた全ての条約を無効として、特定の居住地に追いやるという内容の法律である。最初、居留地として指定された場所は、オクラホマの土地であったが、これも1889年には白人達に開放されてしまった。

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