ユタ州とモルモン教について
アメリカの国立公園を多く保有する州のひとつであるユタ州は、合衆国内でも少々変わった州であり、ただ単に国立公園を観光するだけでない一風変わった見方をすることができる。

ユタ州は人口223万人のうち約70%がモルモン教徒である。2000年の国勢調査では、ユタ州人口の68%がモルモン教徒であると答えていた(現在ニューヨークから西海岸にかけて全米約800の宗教がある)。モルモンの正式名は”CHURCH OF JESUS CHRIST LATERDAYS SAINT(末日聖徒キリスト教会)”で、モルモンはニックネーム。

キリスト教会でありながら変わっていると言われる所以は、最近まで一歩多妻制を奨励していた事、お茶、コーヒーなどの刺激物は一切摂取しない、起きている間は原則的に働き、収入の十分の一を教会に納める…などの厳しい教えからきている。

日本でも世界でも実にいろいろな形の宗教が今日存在しているが、モルモンは、1830年アメリカ合衆国にてジョセフ・スミス・ジュニアによって創始されたキリスト教である。日本における信者は約12万人。バーモント州出身のジョーゼフ・スミスが ニューヨークにいた頃、モローニの天使が金の板に教条を書いて彼に手渡ししてきたのが始まり。



1820年代はGREAT AWAKENING(グレート・アウエークニング)時代と呼ばれた宗教ブームであり、どんな宗教でも多くの信者を寄せ付け、新大陸では各種のキリスト教宗派が対立抗争を繰り広げていた。

「赤毛のアン」シリーズを読んだ人なら、「長老派教会」「メソジスト派」という言葉が何度も出てきたのを覚えているかもしれない。赤毛のアンとその周辺人物たちはみんな長老派で、露骨にメソジストをバカにした発言を繰り返し、当時の人々は本当に正しい教えはどれなのだろうと疑問を抱き出していた。

信仰厚きジョセフ・スミスは、どの宗派が正しいのだろう、と悩んで、結局どれにも属さずにひたすら祈りを行っていた。そこへ神さまの啓示が下り始める。

あるとき神様は、モルモン経のありかをジョゼフ・スミスに告げる。モルモン経の神様は少々変わっており、何度もしつこく三回繰り返すという癖があり、今でもモルモンの人には何回か言葉を繰り返す人が多いそうだ。啓示を受けたジョーゼフが山の中に行き、モルモン経のヘブライ語版を書いた金版を掘り出して、さらに一緒に埋めてあった翻訳胸当て(ウリムとトリム)をつけると、ヘブライ語なんて見た事もない彼でもすらすら読める事ができたと言う。残念ながらこの金版も翻訳機も神様に返却されてしまった。

モルモンの「起きている間は働き続ける」という教えはジョーセフ・スミスが説いたが、そうして働き続けるうちにモルモン教徒は富んでくる。富んでくると周りからやっかみが起き、迫害が始り、東海岸にいられなくなり、イリノイ州へと移って行く。当時信者4万人。ちなみに当時の州の平均人口は6万人というから巨大な集団であった。

スミスは大勢の信者に支えられ、1844年の大統領選に立候補するが、選挙運動中暴徒に教われ死亡。これを期に教団は、ブリガム・ヤング指揮のもとにユタ州(当時は州ではない)へ向かう。ヤングはスミスと異なり、宗教的な人間というよりも教団の代表としてモルモンの普及活動を積極的に行った。ヤングがいなければ今のモルモン教団はありえないとも言われている。
アメリカの州について


1789年に西部開拓法にて定められた区画整理法で6マイル四方ごとに区画整理をして行き、1マイル四方(640エーカー)を$640で払い下げるという大雑把なもので、人口密度は大体平均で1マイル四方に3~4人。この料金は後100年間据え置き。一定の区画内に6千人集まったら準州、6万人集まったら州として認められた。そもそもフロンティア精神、西へ行く(Go West)という言葉はアメリカでは単に西に向かうだけはなく、夢や希望を持つ事を意味する。

今に残るモルモン・トレイルを、迫害されながらも希望を新天地につなぎ、教団は西へむかった。 ロッキー山脈越えは厳しく、ジョーゼフ・スミス亡き後、途中で大半が挫折、離団したが、1847年に数百名のモルモン教徒が現在のユタ州、ソルトレークシティに到着する。

当時の教祖ブリガム・ヤングが小高い丘の上からソルトレークシティのあたりの台地を指差し”ここは我々の地である”と宣言し、定着をはじめる。なにもないユタで数百人の小集団が生き延びるのはとてもきつかった。 折りしも西部開拓時代。モルモン教団の中にはダニテ団という過激的な集団が結成したり、教徒を増やすためにかなり残虐な行為を行った事もあるという。

そして、子孫を増やすためにブリガム・ヤングが行った政策は一夫多妻制の導入。 ブリガム・ヤングは前からジョセフ・スミスに「一夫多妻制」を提案していたのだが、スミスはそれを受け入れなかった。 ところがスミスが死んで、教団がユタに入ってしばらくすると、ブリガム・ヤングはジョセフ・スミスから受けた啓示ということで一夫多妻制を開始させた。

(追記:ただし、一部の資料では、そうではないという話もある。ジョセフ・スミスも一夫多妻を希望しており、あるとき神様からそういうお告げを受けて妻に相談したところ、妻はスミスの目の前で黙って結婚誓約書なるものを破り捨てたという。)

長い間、ユタ自治区はアメリカから半ば独立した存在になっており、税金を収めず、それを治めさせようとアメリカ政府が裁判官等を送り込むと殺戮を繰り返し、アメリカで州と認められたのはかなり長期に軍事的な対立をしてから。騎兵隊つきで裁判官派遣、さらに一夫多妻の廃止という条件付きで、ついに1896年米国内で45番目の州となった。

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