更に過酷になってゆく対先住民族政策
そういった政府と開拓者集団あげての先住民族締め出しの流れの中で、一度だけ白人側が大敗を喫した事がある。東部では、建国100年祭の行事に沸いている1876年、度重なる白人側の背信行為に激怒した先住民族が、スー族の酋長シッティング・ブルや、オグララ・スー族の酋長、クレージー・ホースの指揮の下にモンタナ準州に結集し、ジョージ・カスター率いる第7騎兵隊の64名を包囲し、全滅させたという事件である。

しかしながら、これは先住民達にとって例外的な勝利だったらしい。ロッキー山脈の中で暮らしていたネズパース族は、土地を明け渡してオクラホマ州へ移住するように政府に迫られた。若い者が武力で対抗しようと叫ぶのを鎮めたジョゼフ酋長は、全員を引き連れて密かにカナダへ脱出しようと画策する。その時同行したのは戦士200人、女性、子供、老人などの計350人である。ジョゼフはそれから750日間約2000キロ、北へ向かって逃亡の旅を続ける。

その逃亡コースの取り方、追いつかれた時の戦闘の巧みさは、追跡する白人騎兵隊の将校達が、舌を巻くほどだったという。 しかし、ジョゼフ酋長はカナダ国境を目前にしながら追いつかれた。彼は部下をなだめ、武器を捨てて白人騎兵隊の将校達の前に進み、後に「最後のスピーチ」として後々有名になる感動的な演説を打った。

「私はもはや、戦いに疲れた。私の部下の指導者達は殺された。イエス、ノーを云ってくれるのは皆若い者ばかりだ。 若い者を指揮していた者も死んでしまった。そして、こんなに寒いのに我々には毛皮がない。幼い子供達は凍え死のうとしている。私の部下の何人かは丘の上の方へ逃げていったが、やはり毛皮も食べ物も持っていない。彼らが何処へ行ったかは、誰にもわからない……恐らく凍え死ぬ事であろう。どうか、我々に子供達を探す時間をくれまいか。やってみたいのだ。多分、彼らの遺体を発見するだけだろうが……」

「……聞いて欲しい。私はもはや疲れた。私の心は、病んで、悲しみにくれている。今この瞬間から私は永遠に二度と戦いをする事はない」

先住民の中には、白人に尊敬の念を抱かせるようなリーダーは少なくなかったが、ジョゼフ酋長はその典型的な一人である。東部の社会にはそんな過酷な先住民族政策の改善を求める声も上がったが、大きな流れを変えるには至らなかった。なお、全ての先住民族にアメリカ市民権が与えられるようになるには、1924年まで待たなければならなかった。
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