独立宣言~アメリカ合衆国設立へ
1776年、「イギリス本国からの独立、君主制から共和制への移行」を主張する、トマス・ペインの8ページからなるパンフレット『コモン・センス(常識)』が出版され、3ヶ月で12万部が売れた(当時の人口は約250万人)。このパンフレットの影響もあり、戦争の目的はイギリスからの独立へと転換していった。同年、フィラデルフィアでジェファーソンが発案し、13の植民地が同意する「独立宣言」が採用され、イギリス植民地は「基本的人権の擁護」を武器に、独立を宣言した。

1776年には、ワシントン家の紋章を模倣して、13スターズを円形に配列する星条旗が創られた。後に合衆国の州が増えると共に、スターも紅白の帯も増えて行った。しかし、1818年には、紅白の帯が細くなりすぎたので、建国時の13州を紅白の帯で表し、州の数をスターで示すようになった。独立戦争中の1777年、13の植民地は「連合規約」を制定し、13邦からなる連合体(ユナイテッド・ステイツ)を成立させた。それぞれ違った歴史を持つ13の植民地が結びついたのである。

「連合規約」では、軍事、外交、州際の権限が連合政府に与えられたが、連合政府は課税権、通商規制権を持たず、人的、財的権限は州政府に留まる事にした。連合政府は、現在で言えば、国際機関のようなものだと思う。連合政府は各州代表により構成されていた。各州一票で議決され、重要議題には3分の2の賛成が必要だった。

この「連合規約」に基づいて1787年に「北西部条約」が定められ、先住民族の居住地である西部にも東部と同等の権限を与え、一定数の白人の居住が進んだ状態で「邦(State)」が定められる事になった。

独立戦争の緒戦で植民地側は製鉄が禁じられていた事もあって、武器が乏しく、内部の分裂も加わって苦戦を強いられてきた。 しかし、「時は金なり(Time is Money)」で有名なベンジャミン・フランクリンをヨーロッパに派遣し、1778年にフランスとの同盟に成功すると、ユリの紋章が入ったブルボン家の銃が大量にもたらされ、戦局は逆転した。

ヨーロッパ諸国はイギリスを叩き、「勢力均衡」を実現する絶好の機会と捉えたフランス、スペイン、オランダが植民地側を支援し、ロシアも「武装中立同盟」を結び、間接的に植民地を支援した。特にフランスは1778年に米仏同盟条約を結んで、武器だけでなく陸、海軍も派遣した。アメリカはイギリスが主張する「内乱」を国際戦争に転化される事により、イギリスを孤立化し、追いつめていったのである。
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