アメリカの国立公園史
1803年、当時のトーマス・ジェファーソン大統領は、ナポレオン支配のフランスからミシシッピー川周辺の広大な土地(現在の15州、アメリカ中部地区ほぼ全域にあたる)を購入した。その後、この購入した未開の地を調査するである必要性を感じ、軍人を集めたルイス・クラーク探検隊を構成し、1804年5月に調査を開始した。

探検隊は1年半かかり、現在のオレゴン州ポートランド付近の太平洋岸に到着し、アメリカ大陸初の陸路横断に成功した。帰路、1806年に道中探検隊から離れ、ロッキーを越えたジョン・コルターが、非先住民族として初めてイエローストーンを訪れたとされている。ジョン・コルターは今でこそ英雄として称えられているが、当時は先住民族のクロウ人とブラックフット人の戦いに巻き込まれて重傷を負い、その床でこの地を「火と硫黄の地である」と述べた。しかし、これは熱に冒されていたためのうわごとだと捉えられ、人々はその土地の事を「コルターの地獄」と呼んだ。

1800年代の後半になり、コルターの発見したイエローストーンや他の探検隊が発見したというヨセミテの話を信じた内務省のハイデン博士は、そういった地域の自然保護を行う必要性を感じ、国有化を働きかけ始めるが、議員や一般の人々はそのような大自然の絶景がある事を誰も信じなかった。そこで、ハイデン博士は、画家モーランと写真家ジャクソンを隊員に加えた探検隊を、新たに結成。1859年から2年計画で、イエローストーンを始めとするミシシッピ川上流域の調査を開始する。

途中、悪天候や南北戦争の影響もあり、全計画の遂行はできなかったが、このときにジャクソンにより撮影された写真とモーランの絵は、イエローストーン公園法の公聴会で、審議に参加した人々の心をようやく捉える事ができた。特に、イエローストーン地方を探検した人々は、そこに広がる大自然に深く心を動かされ、「この霊域はすべての人類、すべての生物に自由と幸福を与えるために神が創造されたもので、決して私有物にしたり、少数の利益のために開発すべきものではない」として、政府に「この地を国民のために永久に保存するには国立公園とすることが適当」と提言したとされている。

こういった意見に、いままで「金の無駄」と反対していた議員たちも態度を軟化。1872年には、大統領ユリシス・グラントがイエローストーン公園法に署名し、ついに世界で初めての国立公園が誕生したのである。

当初は、国立公園に指定されたイエローストーンだったが、管理はないに等しかった。動物の密猟や、少数の観光客による破壊などが発生していた。その後、セオドラ・ルーズベルト大統領が歴代大統領として初めてアメリカ西部の国立公園視察を行った。この視察旅行でルーズベルトは、自然保護と国民による自然景観の共有が必要と判断、道路や宿泊施設の整備などに国家予算をつけるようになったのである。1916年には、国立公園実施法が制定され、内務省に国立公園局が設置された。
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