モアブの町はモーテル、ホテルが立ち並びレストランやショップ等が充実しているが、隣町は数時間ドライブしないと無いため、必ずホテルは予約してから行くように。モアブの町は、コロラド川沿いにあるため、ラフティング・トリップも盛んに行われており、夏のピーク時は非常に混雑している。
ベストウェスタン・グリーンウェル・イン(モアブ)
モアブ中心部、モアブミルクリーク・ジョギングとサイクリングコースの隣に位置した便利なホテル。暖かな色合いの落ち着いた雰囲気の客室は都会のざわめきを忘れ、ゆったりとした時間を過ごせる。
個人で行く場合は車を止める場所に苦労する場合があるので注意。時間にゆとりを持って、出来れば朝早くから行動される事、飲料水は常に十分以上持参しておく事をお勧めする。モアブの町から10分ほどでビジターセンターに着くが、そこで情報をしっかりと入手しよう。予めどこのトレイルを歩くか決めておくと良い。デビルズガーデンでのダブル・オー・アーチとランドスケープアーチは是非訪問して欲しい。
(2019年3月現在*)
・自家用車 $30 (1台あたり。7日間有効)
・スノーモービル、オートバイ $30
・個人(徒歩、自転車、スキーなど) $15 (1人あたり。7日間有効。15歳以下は無料。)
・年間パス $55 (1年間有効)
・共通パス $80(他の国立公園などでも使える共通パス。1年間有効)また、毎年無料の日が数日ある 2020年 1月20日 4月18日 8月25日 9月26日 11月11日 *最新情報は国立公園のサイトにて確認できる。
かつてはアナサジと呼ばれる先住民族の祖先が住まいとしていたエリアであり、渡ってきたスペイン人が馬を受け取った時の模様が壁画に残っている。1000年代のこの周辺はフリモント族とアナサジ族がいてフリモント族は北部周辺で、狩猟や採集を中心に生活していた。 一方アナサジは南部周辺に定着し、後のプエブロ(部落作り)に発展、現在もメサベルデやモンテズマキャッスルに残る壮大な遺跡を残した。アナサジはトウモロコシ、農耕技術に優れておりブルーコーンの改良等も行っていた。 現在のフォーコーナーズ周辺で住んでいたこの2種族の推定で40万人とされる先住民族は1300年代後半のある日、突如として姿を消してしまった。遺跡には遺骸が無い為争いがあったのでは無いはずだが、何故か建物は焼き払われている。 彼らが何の為に生活跡を隠しこの地を捨てていなくなったのか未だに明らかにされていないが、大規模な干ばつが起きていた事は解っているのでそれが関係しているのか、部族間の争いか、精霊的なものか、、、、。アナサジの子孫達は後のホピ族、リオ・グランデ族達にその血筋が流れている事が判明したが、フリモント族に関しては消息が途絶えてしまった。種族全滅である。
1800年代、19世紀初期の頃は山間部から下りてきたユテ族がこの一帯に住み着いていた。ユテ族は馬を使いこなす、野蛮な種族で、南部一帯に住み着く温和なナバホ族を襲ったり(ナバホ狩り)白人達との抗争を繰り返した。 19世紀全般に巻き起こった探検の波。毛皮商人達が罠を仕掛けるためにトレイルがあちこちに出来る。 白人で最初にコロラド川を下ったデニス・ジリアン等がこの地に訪れ当時手に入れた財宝をアーチーズ内各所に隠したそうであるが未だに見つかっていない。その後モルモン教の人々が布教活動をインディアン達に広めようとするが失敗、1855年にモルモンの伝道師達が3人殺された事件をきっかけに10年以上白人には不毛の地となる。1870年からまた白人達が入り込み、郵便局が出来、デンバーからはリオ・グランデ鉄道が引かれた。 1883年、南北戦争で心身ともに疲れきったジョン・ウェズリー・ウルフが静養の為にこの地に移り住み1910年まで小さな牧場を作り生活する。1923年には観光名所となり全米に紹介され1929年にナショナルモニュメントとなる。